真面目な人は損をする? 報われない努力が劇的に好転する方法3つ

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「真面目な人の努力は報われない。真面目な人は損をする」そんな言説を聞くことがある。「大切なのは頑張ることじゃない、何をどう頑張るかなんだ」と口にする人もいる。確かにこういった言葉には理屈が通っているかもしれない。盲目的ながむしゃらな努力は、必ず実るとは限らない。

けれど真面目な人の努力が報われないままでいるのを「もっと考えろ」なんて突き放すことで、その人は報われる方向に行けるのか。その頑張りがどうすれば報われるのか、ここにヒントをおいておく。なぜ真面目な人は損をするのか。報われない努力と報われる努力との差は何なのか。この記事を書くきっかけになったのは、公式Twitterアカウントに寄せられた

顧問に「君たちはまじめすぎ。どうせバスケをやるんだったら楽しくやれ。」といわれました。でも私にはどう楽しめば良いのかわかりません。
強くなるにはまじめに練習するしかないんじゃないですか??


という声だった。

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報われる努力と真面目な努力の違いとは?


真面目な人の定義とイメージ

私たちは無意識に「真面目」は勝利と成功を手に入れるための絶対条件だと思い込んでしまったりする。子供のころから「真面目にやらないと勝てないぞ、合格しないぞ」なんて言われたりして、この考えが刷り込まれる。報われる努力について考えるのなら、この思い込みをまず横に置いてみよう。

たとえば週7回練習があるチームで、週4回しか練習に参加しない、それでいてメキメキ上達する選手のことを私たちはまじめとは考えない。むしろ要領のいい人、才能のある人と考える。「真面目な一生懸命な努力=上達への最短距離」という思い込みが深く食い込んでいるから、その公式に当てはまらない人はある意味で異色の存在だと感じる。

私たちは誰かのことを真面目だと判断するとき、「他者からの要請を守り続けるか」という点を重視する。「一日1時間勉強しなさい」という約束を守る子供は真面目だけれど、授業を適当に聞いてそこそこの点数をとる子供は真面目とは言われない。多くの職場では労働時間の長い人が真面目とされるが、遅刻も多くさぼっているように見えて結果を出す人は真面目とは言われない。

だが適度な休息こそが上達を促進するという観点から言えば、週7回の練習は適切ではないともいえ、適切に休むことこそが上達しやすい努力だともいえる。しっかりと休む勇気を持って努力できるこの選手はなぜ「まじめ」と呼ばれないのか。

それは真面目な人とは、誰かが決めたルールを守る人のことを意味するからだ。大人が子供のことを真面目だという時には、大人の言いつけを破らない従順な子、というニュアンスが含まれる。法律を破った人の同僚がテレビでインタビューされるときも、「真面目な人でとてもそんなことをする人には見えない」なんて言ったりするが、ルールを破るような人ではないというイメージが「真面目」には含まれる。

そして上達し、結果を出して望みを叶えていくために必要なのは「誰かが決めたルールを守ること」ではない。イチローやマイケル・ジョーダン、タイガー・ウッズなどの、スポーツの超一流の選手たちは誰かの決めたルールを守ったのではなく、自分なりの考え方や世界観、努力の方法を確立して結果を残した。人の考える普通の尺度に当てはまらないから、彼らは「天才」や「神様」と呼ばれる。

つまり、真面目だから成功したり、望みが叶ったり、幸せになったりするわけではない、ということだ。だからこそ、当初の質問にあったような「君たちはまじめすぎ。どうせバスケをやるんだったら楽しくやれ。」というような言葉が成り立つ。では真面目な努力が報われないのだとしたら、逆に報われる努力とはどのようなものだろうか。

報われる努力の3つの法則

ここで公式Twitterに寄せられた質問に、筆者がどのような回答をしたかを見てみよう。

初心者のころを思い出してみてください。バスケがものすごく楽しく、それでいてメキメキと上達していったのではないでしょうか。いまのように「まじめ」にやってはいなかったと思います。「まじめ」だからうまくなるわけではないのです。

強くなるためには3つのことが大事です。

1つは「没入すること」で、大げさに言うとランナーズハイのような状態がこれにあたります。 簡単にいえば集中することです。例えばシュートを練習していて、ものすごく調子のいい日などは、シュートを決めること以外何も考えずに次々にシュートを打つことがあると思います。

完全に集中していて、シュートを打つことだけにのめりこんで、かつ楽しい状態(ランナーだったらただ走っているだけで楽しい状態)になることを、ものごとに没入するといいます。

もう1つは「成果にこだわる」こと。たとえば鬼ごっこをして追われているときなどは、ものすごく没入していて楽しいわけです。逃げることだけに完全に集中している。ですが追いつかれてしまった時に、「あぁ楽しかった」で終わるか、「なんで追いつかれたんだ、次はこうやって逃げてみよう」と思えるかは、鬼ごっこの上達に大きな違いをもたらしますよね。ちゃんと成果に焦点を当てて、反省や気付きを得られるかが大事なんです。

最後が「継続する」こと。一度だけの頑張りに終わらせず、少しずつでも長い年月、コツコツと続けていけることが大事です。

で、この「没入する」「成果にこだわる」「継続する」を実行している人は、外から見ると非常に「まじめ」にも見えるわけです。だからまじめにやれば上手くなると思う。でも本人の頭の中は、ちゃんと練習を集中して楽しんでいるし、反省や気付きを得ることで一杯なんです。だから「強くなるにはまじめに練習するしかない」という言い方は当てはまらないんですね。

周りの上手い選手を観ても、「まじめ」ではないんですが練習への取り組み方が上手です。 まず練習中にうるさい。誰かがいいプレイをしたらものすごく盛り上げる。声を出して、仲間を絶えず笑わせようとしているんです。ところが真面目そうには見えないのに、ダッシュとかになるとものすごい勢いで走り出す。

誰にも負けないくらいに一生懸命に走って、隣の人に勝手に「勝負だ」とかいって、勝てば「しゃあああ!」なんて大声で叫んで笑っている。「やばい、きつい」とか言いながら。ボールを扱う時だって、シュートを決めて良いパスをしたら嬉しそうにする。でもミスをした瞬間、味方にものすごく謝って悔しがる。反省はちゃんとするんです。で、次はこうしようと、こうするためには何に注意しよう、と考える。それがうまくいったらまた喜ぶんです。

まじめに良い子にやるんじゃなくて、ミスやつらいこと、それをみんなで克服していく過程や、 自分が上手くなっていく過程を楽しんでいるんですね。楽しくやれないというなら、目の前のことを「どうしたら楽しめるか」を考えて見ましょう。こういう話もあります。
参考記事:人生を楽しくする【明石家さんま】の哲学。

私としては「頑張るべき」とか「これくらいできて当然」といった、常に高いハードルで自分を追い込む思考を一度横に置くといいと思います。「頑張れたこと」や「シュートを決めたこと」、「いいパスができたこと」など、一つ一つのことに喜びや良いことを見出すのが楽しみのもとになっていくと思うからです。

「まじめ」や「できて当然」をなくして、他人と自分を比べたりせず、自分が一生懸命にやったこと自体を「よし、いいぞ自分」と思えるようになると楽しめると思います。


ご覧になっていただいてわかるように、「没入する」「成果にこだわる」「継続する」という努力が報われるための3つの要素と、「誰かが決めたルールを守って真面目に努力する」ことは必ずしも一致しない。むしろ真面目にしようとするあまり、3つの要素を大切にできないケースもある。

誰かの決め事を守ろうとするあまり、「自分はいま真面目にやれているだろうか」ということに気を取られて集中できなかったり、成果自体ではなく「成果をちゃんと出そうと振舞えたか」ということに気をとられたりする。誰かのルールを守り続けることは我慢であり抑圧であり苦痛なため、自主性を発揮して長く継続することもなかなか難しい。

「真面目な人は損をする」という言説を理解するには、この違いをよく考えるといいのだ。結果が出ない時にもっとマジメに頑張らなくちゃと思うか、「没入して」「成果にこだわって」「継続できている」かどうかをチェックしようとするかが、努力を意味あるものにできるかどうかの分かれ目だ。

まじめなことは長所だということ

自分はマジメに頑張っているのにうまくいかない、認められないと感じている人は、「ルールを守ることが絶対」だとか「マジメに一生懸命に頑張ることが大前提」という考え方から少しだけ抜け出して、自分が行動そのものを楽しめるかどうかに焦点を当ててみよう。

たとえばバスケットを真面目にやることよりも、どうすればバスケットを楽しめるかという考え方をする。楽しむことができれば自然と集中できるし、次はどうすれば良いかという頭も使え、何よりずっと努力し続けていくことができる。

真面目なこと自体は、もっと良くなりたい、しっかりと成果へアプローチしたいという欲求があるなら、その人の長所だともいえる。「努力が報われるとは限らない。だが報われたものはすべからく努力している」という名言がある。大切なのはどのように、どのような心構えで努力していくかということだ。



真面目な努力はつまらない、努力はできないと感じている人へ

多くのチームで真面目さは奨励される。コーチや上司はルールを作り、そのルールを必ず守る真面目さを選手や部下に求めるものだ。そういった縛りがイヤでチームに身を置くことをためらう人も大勢いることだろうし、もしかしたらあなたもそうかもしれない。だがそれはあなたが悪いということではない。チームには最低限のルールが必要な面はあるが、あくまで個人の感情を守れるような、最低限のものである方がいい。

あなたが真面目さにとらわれて、ルールの中で窒息しそうなら、自分を大切にしよう。多くの人が自分を真面目さの檻に閉じ込めて、仕事や学校に行きたくないというような、心の苦しさを抱えてしまうものだ。他人の欲求に従おうとすると身体は強張っていく。自分自身の身体の欲求を叶えていくと、呼吸は深くなり、気持ちよく生きていける。

もしどうしても努力が報われないのなら、それはあなたの問題ではなく、組織集団の問題かもしれない。ルールを強いられる抑圧が、あなたの自然な感情や感覚をすり減らすとき、そんな組織集団に無理にいることはない。ためらわずにスポーツならチームを移ること。仕事なら転職して職場を変えること。自分の心の健やかさは自分で守ろう。

上手く物事が進まないときは、特定のやり方ばかり繰り返していても前進を感じづらい。例えば真面目に一生懸命に努力するのではなく、工夫して新しいことに挑戦することで思わぬ発見が得られたりするものだ。自分の価値観を大切にするための方法は一つだけではないとも考えよう。

参考記事:仕事に行きたくないときに読むとすぐ救われる、辛さがなくなる考え方
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