ほめる効果と危険性とは? 的確なフィードバックを磨くことが大事

ほめる技術、コツ

褒めるときには、褒める側の人間性があらわになってしまう。褒めることの効果や危険性を理解しないまま、仲間を褒め続けているのなら注意した方がいいだろう。

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無理に褒め上手にならなくていい


ほめることの効果と危険性

人間は外部からの影響を受けて状態が変わる生き物だ。試合になれば緊張するし、おいしそうな食べ物を見れば食欲が刺激され、おだてられると嬉しい。そして多くの人は、外部からの影響によって自分がどう変化したかについては無自覚だ。

うまく褒められると、人は嬉しくなってしまう。思わずノッてしまう。人使いの上手い人は、相手の特徴を長所に振りかえて、真にそれが素晴らしいものだという確信をもって褒める。せっかちなのは行動力があると捉えたり、無口なのは冷静なことだと捉えて言葉にすることで、「いま現在のあなたはよい存在である」というメッセージを相手に伝えることが出来る。

それによって相手は褒めてくれた人を好きになるだろう。そしてイキイキと行動することが出来るようになるだろう。これが褒めることの効果だ。一見するとこれは素晴らしい。しかし、この効果は長くは続かないうえに、言われた方は「もっと褒めてほしい」状態になってしまう。そして褒められなくては行動できないようになっていってしまう。褒められることはそれほどまでに、麻薬のように気持ちのいいことなのだ。

これを見誤ってはいけない。多くの人は「褒められて嬉しくなる」ことが危険なことだとは思っていない。だが他者の目線を想定し、行動時に「褒められたい」と望む習性は、自分の人生の決定を自分でコントロールできなくなることに繋がる。褒め殺しとはよくいったものだ。あなたがもしも相手を褒めるときには、このことをよくよく肝に銘じなくてはならない。相手に自立した人生を送ってもらいたいなら、相手に自分で判断し決断する力を持ってもらいたいなら、安易に褒めることは慎もう。

逆にそれでもいいというのなら。自分のために相手を動かしたいのなら、相手を「褒められるために動く」という条件付けの世界に誘う危険を冒したいのなら、すればいい。相手の特徴を形容する言葉のほとんどは誰かとの比較評価の言葉になる。常に誰かとの比較評価をしつつ、他者の目線を気にしつつ生きるというのは非常にツラい。そんな中で得られる自信や自己肯定感は、結局は承認してくれる誰か他人の顔色を伺っている点で、自由な自立とはほど遠い。

褒めと叱りにさらされ続け、その他者の評価基準を受け入れた人は、「自分は周囲からこう評価されている」という空想で自己承認をすることになる。常に自分より優れた誰か、劣った誰かの視線や価値観、評価軸を想定して生きるのは鎖に繋がれた牢獄に似ている。その時間を誰かにプレゼントするのを、私は薦めない。

あなたが誰かに対してどのように褒めるかで、あなたの全人格が問われる。あなたが何を目的に褒めるのか、それが重要だ。

褒めずに人をどう動かすのか?

あなたがチームメイトを褒めるとき、もしも自分が相手を「自分の望む方向に動かそうとしていた」のだという気持ちに気づけたら、それはあなたのチームに変化をもたらす大きな一歩になることだろう。褒めるのは自分のために他人をコントロールするためのやり方だ。そのコントロールが上手くいっていたとしたら、仲間は自主性を発揮しづらくなっていたり、比較評価の中で自己承認を失いがちになって精神的に安定しなくなったりしているかもしれない。そのコントロールが上手くいかないとしたら、無理に褒めるような不自然なコミュ二ケーションになっているのかもしれない。

あなたは言うかもしれない。やる気もなく、自己評価も低い仲間をどうすればいいというのか。あなたがもしも彼らに何も言えるような立場にないのなら、放っておくことだ。だが、あなたがコーチやリーダーだと思われているのなら、練習を共にしたり技術を伝達したりする機会に恵まれているのなら、一つ方法がある。

それは技術的な指針を示して、行動に対してフィードバックすることだ。相手の態度や性格や特徴など余計なことに触れずに、的確なフィードバックを返すことだ。まずいのは「そんな消極的じゃダメ」とか「それ<は>いい」のように、クレームや余計な思惑をつけて返すことだ。よいのは相手のシュートのアーチが低かったときに「もっと上に」と端的で効果のある、なるほどと刺さるフィードバックを返すことだ。多くのコーチやリーダーが、的確なフィードバックを返すために日々研鑽を積む。

的確なフィードバックがあれば、相手は自分のやっていることの方向性がわかり、「できる」感じがしてくる。どうすればいいのかが相手にとって自明なものになれば、やる気は誰かに喚起してもらわずとも自然に出てくる。自分でやった結果が出れば、自信もついてくる。良い教師とはみな良いモチベーターであり、素晴らしいフィードバックを返す人なのだ。褒めなくてもいい、単純に「こうすれば必ずこうなる」という体験と確信を相手に与えるために、指導技術を磨こう。

褒めるより共感的に

どんなときでも褒めはダメと言うわけではない。褒めるべき時もあるかもしれない。そこで褒めたことによって相手の心理にどんな変化が生じるだろうか、そのことを褒めることが長期的に見て本当に相手のためになるだろうか、という視点は一つのポイントになるだろう。もしもそれが自分の都合のいいように相手を動かそうとする感じが強く出ている光景であるのなら、なにかを顧みることがあっていい。

最後に、多くの人が求めているのは、褒められることではなく、共感的に接しあうことだ。「お前はこうだ」という評価を受け取ることよりも、自分の気持ちを語れる相手がいることや、自分の素直な気持ちを伝えてくれる人がいることの方がよほど素晴らしく、勇気づけられることだ。あなたが相手のために相手を褒めているのなら、それよりも気持ちを交換する人間として存在することをオススメする。手軽な「長所を見つける」ことに比べて、これは鍛錬が必要な道だが、得られるものは大きい。
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