元サッカー日本代表、岡田武史監督の名言や考え方、哲学について

岡田武史監督

自分と違う経歴の人、異なる環境で生きてきた人の知見や考え方を知ることは、大きな学びになりえる。その人がどんな時に何を感じ、どういうことを知ったのかを理解することで、私たちは自分の固定化された思い込みに気づくことができたりする。

ここでは元サッカー日本代表、岡田武史監督の記事を紹介し、いくつかの発言をピックアップする。あなたがサッカーにまるで興味のない人でも、リーダーではなくても、チームに身をおくのなら何かしらの発見や学びがある。この記事で興味を持てたなら、リンク先の特別講演の全文を読んでみよう。

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岡田武史監督の仕事ぶりと哲学


岡田監督の講演の記事はこちらになる。ここからはいくつかの文章を引用してみよう。

引用記事:岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とは

最後の決断は勘でする

どんなリーダーでも、いざとなれば未来にまったく確証の持てない迷いの中で、決断を下さなければならないときがくる。考えても考えても、「よし、こっちの方が良い」という展望を持てないとき、いったいどうすればいいだろうか。岡田監督はそんな時、計算を捨てて勘で決断するという。

「開き直り」という表現は悪いかもしれないですが、これはある意味どんな仕事でもトップやリーダーになったら、一番大事な要素かもしれないですね。「監督の仕事って何だ?」といったら1つだけなんです。「決断する」ということなんです。「この戦術とこの戦術、どっち使う?」「この選手とこの選手、どっち使う?」ということです。

ただ、「この戦術を使ったら勝率40%、この戦術だったら勝率60%」「この選手だったら勝率50%、こっちの選手だったら勝率55%」、そんなもの何も出てこないんです。答えが分からないんですね、それをたった1人で全責任を負って決断しないといけない。

じゃあ「どうやって決断するか」といったら“勘”なんですよ。「相手のディフェンスは背が高いから、ここは背が高いフォワードの方がいいかな」とか理屈で決めていたらダメなんです。勘なんです、「こいつ(を使うん)だ」と。

じゃあ全部勘が当たるかというと、そう当たりはしないですね。でも、当たる確率を高くする方法があるんです。それは何かというと、「決断をする時に、完全に素の自分になれるかどうか」ということです。「こんなことをやったら、あいつふてくされるかな」「こんなことやったら、また叩かれるかな」「こんなこと言ったらどうなるかな」、そんな余計なことを考えていたら大体勘は当たりません。本当に開き直って素の自分になって決断できるかどうか、これがポイントなんです。

日本の代表監督を務めた人が「勘」を口にするのを意外だと思う人もいるかもしれない。リーダーはときに非常な決断をしなくてはならないとか、責任を持って自分勝手に決めなくてはならないと言われるが、幾多の経験を経て磨かれた勘を持つ人が最終的に判断をするというわけだ。

自分本位な選手は諦める

複数の人間が集まるチームとなれば、個々人の不満が噴き出してしまうのは普通のことだ。チームの方針に完全に賛同している人しかいないという方が珍しい。それでチームの雰囲気が悪くなったり、スター選手がモチベーションを低下させてしまうかもしれない。そんなときでも岡田監督は、選手に合わせるのではなく、選手に合わせてもらうという。

選手でも日本代表選手にもなるとみんなしっかりしていますから、「監督、僕はこう考えていて、こういう風にしたい」とか「私生活でももっと自由にこういうことをしたい」とかいろんなことを言ってきます。

 僕は聞きます。正しいと思ったらもちろん受け入れますが、そうではなかったら「俺は監督として全責任を負ってこう考えている。お前は能力があると思うからここに呼んでいる。お前がやってくれたら非常にうれしい。でも、どうしてもやってられない、冗談じゃねえというのなら、これはしょうがない。俺は非常に残念だけどあきらめるから出て行ってくれ。怒りも何もしない、お前が選ぶんだ」と言います。みなさんはご存じないと思いますが、つい最近もそういう事件がいろいろあって、その時もそういうスタンスを常に僕はとっていました。

 そこで選手の肩を抱いて、「お前、頼むからやってくれ」「お前がやってくれたら」なんてことをやっていたらチームなんかできません。ましてや代表チームなんてお山の大将が集まってきているわけですから、とてもできないです。ある意味突き放したようなところがあります。

勝つためともなれば、素晴らしい能力を持った選手を何としてもチームに置いておきたいと思うのが普通だし、代表監督ともなればそのプレッシャーからついついスター選手に甘くなってもおかしくない気がする。だが自分の中に基準を持ち、その基準に照らして「違う」と思うことは受け入れない、そうした心理的な距離感を保つ。この姿勢も多くの人が集まるチームでは大切なことだ。

夢中でリスクを冒すのが大事

日本代表の試合ともなれば、日常と桁違いのプレッシャーがかかり、楽しんでプレイすることよりもミスなく、効率的に結果を求めなければならないという圧力のもとにピッチに立たなくてはいけなくなる。だが岡田監督はやる以上は楽しもうという哲学を元に「あれこれ考えすぎないでリスクを冒すのがエンジョイだ」と選手に説く。

Enjoyの究極はどういうことかというと、自分の責任でリスクを冒すことなんです。日本の選手は「ミスしてもいいから」と言ったら、リスクを冒してチャレンジをするんです。ところが「ミスするな」と言ったら、途端にミスしないようにリスクを負わなくなるんです。

 例えばギャンブルで、大金持ちのお金を分けてもらって「それで遊んでいいよ」と言われて大もうけしても失っても、面白くもくそもないでしょ。自分のなけなしの金を賭けるから、増えたら「やったー」と思うし、なくなった時に「うわ、やばい」と思う。要するに「ミスするなよ」と言われている中でいかにリスクを自分の責任で負えるか、それが本当のスポーツのEnjoyなんです。

本当にEnjoyするためには何をしないといけないかというと、「頭で考えながらプレーするな」ということです。どういうことかというと、脳は(大脳)新皮質と(大脳)旧皮質からできていて、脊髄からつながっているところが旧皮質で、簡単に言うとどんな動物でも持っている本能のようなところです。そして、人間と一部の動物が発達しているのがその周りの新皮質で、ここは物事を論理的に考えたり、言葉を喋ったりするところです。

 ところが、コンピュータの演算速度で例えると、新皮質は演算速度が非常に遅い。例えば、新皮質で考えながら自転車には乗れない。右足のひざをこの辺まで曲げて、このくらいまでいったら体重を左にかけて……なんて考えながら乗れないですよね。キャッチボールもできない。ひじを伸ばして、ボールが来たから指を開いて、次に閉じて……と考えていたら間に合わない。旧皮質で感覚的にやっていかないといけない。スポーツというのは旧皮質でやらないといけないんです。

 ところが日本人はどうも教えられ慣れているので、ボールが来たから胸でトラップして……と新皮質で考えながらやってしまう。だから、向こうでは全然大したことないようなブラジル人がバンバン点を取る。あいつら何も考えていない。来たボールをボンと蹴るだけ。ある意味そういうことも大切。練習では考えてやらないといけない。でも、「試合ではそれを頭を使ってやるな。自分が感じたことを信じて、勇気を持ってプレーしなさい」、それがEnjoyです。

スポーツにおいては考えないでプレーすることは非常に重要だと言われる。考えてしまったとき、普段とは違う筋肉に力が入ったり、一瞬の反応が遅れてしまったりした経験は誰もが持っているのではないか。

一人一人の「自分のチームだ」という意識がチームを作る

チームワークとは何かという問いにも、岡田監督は「自分のチームという意識を持つことが大切だ」という。その時に引用したのが下の「村の祭り酒」という話だ。主体性がチームワークを生むという主張が、誰にでもわかりやすく理解できる話になっている。

村の祭り酒という話を、選手によくします。収穫を祈念して、夏祭りをする村があった。祭りでは、お酒が入った大きなたるを、みんなでパーンと割って始める風習があった。ところがある年、貧乏でお酒が買えなくて、みんな集まって「どうしよう、これじゃ祭り開けねえな」と悩んでいた。するとある人が、「みんなが家からちょっとずつお酒を持ってきて、たるに入れたらどうだ?」と提案した。

「それはいいアイデアだ」ということで、みんなが持ち寄ってたるがいっぱいになった。「これで夏祭りを迎えられる。良かった」ということで当日にパーンとみんなで割って「乾杯」と言って飲んだら、水だったという話です。みんな、「俺1人ぐらい水を入れても分かんないだろう」と思っていたんです。チームでもそういうことはあります。

「チームのためには自分がやらないと」という気持ちを持っている人の数が、チームの強さに直結するという話もある。一人一人がチームのためにすることを理解して実践することがチームの力になる。

認め、認められるための努力をする

どんなチームにとっても難しい「チームのコミュニケーションとは何か」という問いにも、岡田監督は「コミュニケーションは認め合い」だという持論を持つ。あいさつの重要性も引き合いに出して、些細な細かい言葉がチームの認め合いを作っていくと説く。

僕は例えば、選手がストレッチしている時に、「おいお前、この前のシュートすごかったな」とポッと言ってやる。または、「おいお前、子ども生まれたらしいな、よかったな」とポッと言ってやる。すると、選手の顔がパッと明るくなります。どういうことかというと、「俺はお前を見ているよ」ということを伝えるんです。要するにお互いを認め合うということです。

チームというのは仲良しグループが一番いいのですが、別に仲良しグループじゃなくてもいいんです。大体、男30人が集まってみんな仲良しなんてこと、今まで1回もないですよ。「どうもあいつそりがあわん」「どうもあいつ好かんな」ということはあります。でも、「どうもあいつ好かんけど、あいつにパス出したら絶対決めよる」「どうもあいつ馬が合わんけど、あいつにあそこ守らしたら絶対止めよる」、こうやってお互いを認め合うのがチームワークなんです。そう認め合ってもらうために、自分を認めてもらう努力をすること。これがcommunicationです。

究極はあいさつですよ。あいさつは「自分には認め合う準備がありますよ」という印ですから。あいさつもきっちりできないのにcommunicationなんかとれないです。僕は毎朝犬の散歩をするのですが、知らない人に会っても必ず「おはようございます」とあいさつをします。

チームに多くの人が集まれば、互いを認め合うのは難しいものだ。だからこそ、トップが行う適切なフィードバックや、一人一人の些細な心がけが大切になる。ただ能力を磨くことだけではなく、人の繋がりをチーム内でどう作っていくかに一人一人の意識が向けば、活動はよりよいものになっていくだろう。

人間万事塞翁が馬

最後は岡田監督の人生観だ。過酷な体験を経て考えられたものだけに重みを感じるが、考え方自体は多くの人に「なるほど、そういうこともあるかもな」と思わせてくれる。「人間万事塞翁が馬」とは、あまりいい意味にとれない人もいるかもしれないが、人生の真理を簡潔に表現してくれている話なのかもしれない。

僕は色紙などに「座右の銘を書いてくれ」と頼まれたら、大体“人間万事塞翁が馬”という言葉を書くんです。ご存じでしょうが、中国の城塞におじいさんがいて馬を飼っていたと。馬は当時貴重なものだったのですが逃げてしまった。周りの人が「おじいさん、大変な災いでしたね」と言ったら、おじいさんが淡々と「いやいや何を言う。この災いがどういう福をもたらすか分からん」と言っていたら、逃げた馬が雌馬を連れて帰って財産が2倍になった。

 「おじいさん、良かったですね」と周りの人が言ったら、おじいさんが淡々と「いやいや、この福がどういう災いをもたらすか分からん」と答えたら、連れてきた馬に乗った息子が落馬して足を悪くした。「いやあ災難でしたね、おじいさん」と周りの人が言うと、またおじいさんは「いやいや、この災いがどういう福をもたらすか分からん」と。そして、戦争が始まって、村中の若者が駆り出されて全員戦死したのですが、その息子は足を悪くしていたので、戦争に行かずに生き残ったというように話が続きます。

 僕は「バーレーンに負けなかったら、どうなっていたんだろう」「ウルグアイに負けなかったら、どうなっていたんだろう」といろいろなことを今思います。そういうことが続いてくると、何か問題やピンチが起こった時に「これはひょっとしたら何かまたいいことが来るんじゃないか」と勝手に思うようになるんです。もうすぐ発表になりますが、今回もスケジュールで大変になることがまたあるんです。それは確かに大変かもしれない。でも、「ひょっとしたらこれでまた何か良いことが生まれるんじゃないか。強くなるんじゃないか」とだんだん考えるようになってくるんです。

辛いとき、上手くいかないときにどうすればいいのか。そこからどう希望を持って生きていけばいいのかは、人生で誰もが悩むことになる問題だ。「禍福は糾える縄の如し」ともいう。「もしかしたら、ここから良いことが起こっていくのかもしれない」という根拠のない希望を持つことも、ときには私たちを救ってくれるだろう。

今回紹介した発言以上に、リンク先で語ってくれている。経験から得た知見は色々と勉強になるだろう。ぜひとも読んでみてほしいし、岡田監督に興味を持った人は下の動画も見てみよう。どんなカテゴリーのどんな人であっても、こちらが意欲的に生徒であろうとする限り、その人を先生にすることができるだろう。あなたがどんなチームに所属する人であれ、何かしら学べることがあるかもしれない。

引用記事:岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とは


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