仲間の話を腹で聞き、自分の気持ちも話すことが、なぜ大切かという話

人の話を腹で聞く、相互理解

チームの中でコミュニケーションを図っていくときに、理想をめがけて理屈を合わせていくような受け答えを交わしてもいい。お互いの情報や理屈を交わすことで生まれるものがあるならそうすればいい。だが相手の「気持ち」がどうなっているのかという観察を欠けば、効率的な理屈の話しをしようとしても、話は思いがけない方向へ進んでいってこじれたりする。

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互いの気持ちを分かち合うことを意識してみよう


私たちは相手と一緒の時間を過ごしているようで、ときに驚くほど相手のことを観ていない。相手がそこにいることはわかっても、相手がどんな気持ちでそこにいるのかは、察しようとしなければわからない。外見が視覚情報として目に映っていても、親が子どもの様子を気に掛ける時のように「どんな様子かな?」と意識を向けなければ、相手の気持ちを知るような手がかりを得ることは難しい。見ているようで見ていないようなことになる。

会話でも、相手が「何を」言っているのかを私たちは理解できても、相手がその言葉を「どんな気持ちで言っているのか」までは、意識を向けなければなかなかわからないものだ。相手を観ないままに、自分の思っていることやして欲しいことを相手にぶつけても、上手くはいかないだろう。下手をすると、なんて理屈のわからない奴だと無駄に怒ってしまったり、わかってもらえなかった虚しさを味わうかもしれない。

仕事のようなシチュエーションでは、時間を効率的に成果に変えることを目指して、理屈重視のコミュニケーションが展開される。それはそれでいいだろう。スポーツの練習中も、それでいいだろう。だが「時間を成果に変える」前提がない状況で、理屈ばかりのコミュニケーションをとっていないだろうか。その会話は人肌の感触がないものになっているかもしれない。情報を処理し、利害を調整するようなやり取りに慣れすぎて、相手の気持ちを推し量ったり、気持ちを共有するようなコミュニケーションを忘れてしまいがちになっているかもしれない。

チームの中で誰かと会話をするとき、相手の気持ちはどうなっているかに意識を向けてみる。その人がどういった気持ちでいるのか、どういったバックグラウンドで生きてきた人が何を感じているのか、どれほど苦しくて嫌で、どれほど嬉しくて楽しいと思っているのか。

「理由はないんだけど、今日は練習を休みたい」と言われれば、ダメだと怒るのは簡単だ。だが何故そんなことを言い始めたのか、言葉の裏にはきっと何かの気持ちの動きがあるはずだ。自分では上手く外には出せない、心のもどかしい想いがあるかもしれない。そういったことを無視せずに、初めから「怠けグセだ」と決めつけずに、相手の気持ちを察してあげられるような接し方をしてみる。

そうすれば最終的に「ダメだ」と伝えることになったとしても、冷酷な理屈を押し付けるような感じはなく、一人の人間の血の通った判断だと感じられやすいだろう。

「こいつが練習を休むことがいまこの状況で論理的に正しいかどうか」のような思考の方向性だと、どっちの振る舞いが正しいかという論理合戦になる。上から相手の行動に善い悪いの裁きを与えるような感じになる。ときには「気持ちの話」だと切り替えよう。あなたが切り替われば、相手も切り替わるようになる。「それはダメだ」という論理の表現と、「それは残念な気持ちになる」という気持ちの表現は、異なる方向へ会話を運ぶと知っておこう。
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