理想の現実を阻む人に「無能」や「悪意」を見出さないようにしよう

人を悪者にしない

誰かに対して「どうしてこうしてくれないんだろう」だとか、「どうしてこう出来ないんだろう」と思うとき、「こいつはダメだ」とか「こいつはわざと邪魔をしようとしている」と思ってしまうかもしれない。無能や悪意をそこに見出してしまうのは、「どうして」相手がそんなことをするのか、自分に理解する力がないからだ。こんなとき人はこうすることがある、というシンプルな理解に辿りつけなければ、他人に対してのレッテル貼りや逆恨みに苦しむことになる。

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人に悪意を見出したり、無能扱いするとき、自分の力を省みる


現実が自分の理想通りであって欲しいという想いが、自分を苦しめてしまう。自分の現実が上手くいかないとき、こんな親であってほしい、こんなコーチであってほしい、こんなチームメイトであってほしいという願いが湧く。それは無理な願いだ。自分が変わり、自分の力で現実を少しずつ変えていくしかない。

「どうして周りがこうなのか」がわからないと、イライラや無力感が募る。理解できるように学ぶことが大切だ。学ぶエネルギーがないのなら、上手くいかないことを人のせいにするか、上手くいかない状況や人を避けて生きていくしかない。時にはそれもいいかもしれない。時間が必要なこともある。

その人が無能なわけではない。その人が無能に見える行動をとるようになった経緯を知ることが出来れば、それが何か他のことに機能している能力だと知ることが出来る。あなたが自分の理想が現実であってほしいという情念に支配されているとき、その能力は邪魔にしか見えないかもしれない。そうすれば、その人自体が無能に見えるだろう。その人自体が無能に見えるとき、自分が何に必死になっているかがわかるチャンスでもある。

悪意があるという断定は本当だろうか、省みる。自分の想い通りにいかないことで醒めた思考が消え、相手の中に悪意を見出しているのかもしれない。自分の激しい情念が、相手から当然の反発を招いているのかもしれない。自分が過去、相手との間で行ってきたことが、その相手の自分への振る舞いを決めていたりする。悪意は本当にあるのか、それは自分に責任はないのか。理解までたどり着くことだ。たどり着くことが出来れば、自分の望んでいることについて、何をしていけばいいかがわかるだろう。
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