「あなたのため」の中に潜む、「自分のため」に気を付けようという話

あなたのためは自分のため

人のことを想っていても、自分の思いが伝わらない。うまく選手が、子供が、部下が、チームが変わっていかない。あなたのためを想って言っているのに、考えてあげているのに、どうして気持ちが伝わらないのか、憤りややるせなさを感じることもあるかもしれない。「チームのため」「誰かのため」という落とし穴がある。相手のことを考えるときに「自分のため」や「自分の望み」に気づけないと、思わぬ落とし穴にはまることがある。

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「あなたのため」に潜む罠の話


「人のため」に何かをするのは根本的に自分のためだ。人のために何かをしたいと思っている自分のために、そうしている。誰かに愛情を持つときは、「他の見ず知らずの誰かではなく、(私が)(他でもない)あなたのことを(選んで)大切にしたい」という自己の選択的な欲望を持つことから始まる。「私は私がそうしたいのであなたのためを想いたい」のであって、「あなたのため」の中に「自分のため」が入るのは普通なのだ。

教育熱心な親が子供について「あれとこれをやれ、だが○○と××は許さない」というときは、「子供がこうなってしまうのではないか、なって欲しくない」という疑いや執着、「子供がこうなったらどうしよう」という恐れや不安などが親の中にあったりする。教育熱心とは、こういったものの強い表れかもしれない。

執着や不安に気づかないまま、自分の望んだ形に子供を育てようと教えを押し付けるとき、子供の将来に何が待ち構えるのか、その教えを後生大事に守り続けることで、その人生にどんなことが起こり得てしまうのか、という長い視点を失っているかもしれない。「あなたのためだ」という気持ちでいっぱいの時は、なかなか冷静にはなれず、過剰な操作に走りがちだ。

上司は部下がミスして上から自分の責任を追及されたり、時間をとられたりすることについての嫌悪や面倒くさい気持ちが自分の中にあると知らなくてはならない。思わず部下を罰と圧力で動かそうとしてしまうかもしれない。こういった自分の心理に目を向けず、「厳しくするが、お前のためだ」という論理で接することはよくない。相手がその結果、どんな風に変化する可能性があるか、ということに目が向けられていない「お前のため」が自分にとって愛情といえるか、よく考えてみよう。

コーチは選手が自分をがっかりさせることや、好き勝手にふるまってコーチのせっかくの教えを無駄にしてしまうことが「自分にとって」嫌なことだと自覚しているだろうか。そうでなければ「お前のためだ」という言葉のもとに選手をガチガチに縛り、罰や恐怖など強制的な手法を使ってコーチングしてしまうことに正しさを見出してしまうかもしれない。

自分の中の「嫌だな」「さみしいな」「腹が立つな」という気持ちを知ったうえで、それを受け入れた時に初めて「相手のため」が何かを見据えることが出来る。親はさみしいけれど子供に旅をさせ、上司はフォローの手間がかかるが部下を自由にさせ、コーチは自分の努力が実らない苛立ちを抑えて選手に主導権を渡す。自分の中の疑いや恐れを自覚したときに、相手のことをクリアに考えられるようになる。

「自分のため」は悪くない。「自分のためだ」という心を自分で感じていないのが落とし穴なのだ。「あなたのためにはこう」という論理を振りかざさずに、心をオープンにすることだ。親なら子供に「あなたが夜遅くまで帰ってこないととっても不安で胸が締め付けられるの」と伝えよう。「お前のためだ」という押しつけがましい感じはなくなるだろう。あなたの気持ちが相手に良い形で届きますように。
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