気が弱い人の謝りグセを観て、自分たちの練習を省みてみるという話

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チームにおいて頻繁に「ごめん!」という声が響いているなら、なにかを省みてもいい。

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チームの中に謝り続ける人がいるのなら


人は自分の犯してしまった行動で何かを謝罪する「必要」や「義務」などない。謝ろうと思ったときには謝ればいいし、謝らなくていいと思うときに謝るようなことをしなくていい。自然な話だ。これこれこういう場合の時は誠意を持って(いるかのように)謝罪をするべき、のような規定を作り、それに準じて生きると何かと大変だ。そういうことを押し付けてくる人に従っていると、人生が大変なことになる。謝る基準は自分で持つものだ。

練習の時にミスは起こる。ミスは即座に悪いと決めつけられるものではない。ミスは改善・向上のためのサインになりえるからだ。ミスをしたら即座に謝るべき、というのは変だ。

そのミスが起こるシチュエーションに明確な方針があれば、ミスが起きた時に誰のミスなのかが明確になりやすい。コーチがねらいを選手に伝えているのなら、「ミスをした、次はこう修正すればいい」話しはそれでオシマイだ。ねらいに対して次はこう修正すればいい、という認識が生まれないと、向上への指針がなく、「謝って済ます」ようなことになりやすい。いま起こったことは何なのか(謝るようなことなのか)、いま起こったことを改善するのは誰なのか(その人が謝ることなのか)、ということがわからないと、とりあえず誰かが謝る、ような形で練習が進むかもしれない。

謝ることが常態化しているのなら、ミスを修正するための的確なフィードバックがなされていないのかもしれない。同じことを繰り返してしまい、ミスをして謝っている人に「怒った」としても、同じ光景が繰り返されたりする。怒ることが有効なフィードバックになっていないなら、何度怒ってもミスは減らない。ミスをして怒られる、謝る、「次は集中しよう」ということになって終わる、のようなことを繰り返しても、現実を狙った方向に進化させるのはなかなか難しい。

謝りグセのある人は、ミスをすぐ謝ることによって、ミスが起こり得る原因・背景に着目されるのを避けているかもしれない。その人が謝った結果、周りが「謝ったならいいか」となることが続くなら、狙った方向への「変化」は起こりづらい。誰かが言ってあげなくてはならないことはある。よい練習には「きちんと謝る」ことよりも、改善する力が大切になる。
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